国内で急速に進む少子高齢化により、大きな売上増進が難しくなった国内市場から、高成長を維持するアジア新興国を中心とした海外市場への展開は、大企業だけでなく中小企業でも経営課題となってきています。

といっても、言語、文化、習慣が異なる海外でのビジネス展開には、大変な苦労が伴い、リスクも高く、失敗する事例も少なくありません。中小企業庁の統計では、海外展開失敗の要因として、現地人材の確保、育成、管理に失敗したというものが上位にあげられます。

日本企業は、まじめに、熱心に働く、細かい指示がなくともボトムアップで能動的に業務を進めるなど、世界ではまれな従業員に支えられて成長をとげてきました。しかし、海外で同じことを期待するのは難しく、日本企業が海外でつまずく大きな要因にもなります。責任分担を明確にし、標準作業手順、マニュアルを定め、明確な指示をすることが、海外では求められます。

ヤンゴンセーリングクラブ

アジア最後のフロンティアといわれるミャンマーは、長い軍事政権下から、2011年に民主化、アジア最貧国から急速な経済発展をとげつつあります。ミャンマー経済の中心であるヤンゴン中心部を車で走ると、ヤンゴンセーリングクラブという看板を目にします。かつてイギリスの植民地であったときに、作られたヨットクラブだそうです。

ミャンマーでは、会計制度としてかつて占領時代のイギリスの規制要件に即したものが

適用され、学校教育でも、英語での教育が実施、タイなどに比べて英語でコミュニケーションを取ることが容易であるといわれます。

英国が英連邦にミャンマーを組み入れたなごりが現在も存在しています。植民地として迅速に英連邦に組み入れ、現地での反乱など起こらないよう、同化していくためのシステムでありました。

植民地政策との比較は適切ではないかもしれませんが、ビジネスの世界でも、買収した現地企業を自社の戦略に組み入れ、早期に成果を上げるためには、そのまま現地の経営陣に同じマネジメントを任せていては難しいでしょう。

円安が続いたこともあり、日本企業が海外への直接投資として、現地企業を買収する事例も増加しています。一方、買収した企業を自社の戦略に合わせ、自社のグループ企業として統合していこうとしても、異なる言語、文化もあり、業務改善も停滞、買収前の経営が継続され、投資回収に時間がかかる、結局、買収価格を大幅に下回る価格で手放すことになるという事例も少なくありません。

買収した企業を迅速に自社の経営戦略に沿うようなオペレーションが遂行できるよう改善できなければ十分な成果を上げるのは難しくなります。

このようなとき、自社の標準プロセスが反映された業務システムがあり、これを買収した企業に早期展開できれば、買収した企業のオペレーションをデータとして本社サイドから把握でき、日本国内との相違など容易に把握、改善計画など立案しやすくなります。買収された側も、標準システムで作業をするなか、日本本社の標準など理解することになり、グループ企業として融合するのが容易になるでしょう。

日本国内で開発された業務ソフトウェアは、多言語、多通貨に十分な対応を施したものはみあたりませんが、SAPやオラクルなど欧米ベンダーのERPは、多国籍での利用を前提にしており、多国籍企業では、ERPに自社の標準オペレーションをカスタマイズで加え、買収した海外企業などを自社戦略に早急に組み入れる道具立ての一つとして活用、成果をあげている例があります。海外子会社のオペレーションがシステムを通じて、本社で把握できる、見えるかの道具立てといえます。

花王のABSプロジェクトもそのような事例といえましょう。花王の課題である海外展開戦略を支援するべく、アジア地域で同一システムを展開したケースです。

超優良企業の花王

花王は、2005年3月期まで、24期連続経常利益増益、連続増配年数では、2015年まで26年連続で断トツの日本一(2015.7.22東洋経済オンライン)、企業業績は、時々の景気動向に大きく左右されるもので、2008年のリーマンショックなど記憶に新しいところですが、4半世紀にわたり業績を伸ばすというのは、消費者のニーズを的確にとらえるマーケティングの力、独自製品を生み出す研究開発力など突出した能力に裏打ちされたものといえます。

利益を増進させるためにはライオンなど国内企業だけでなく、国内市場に参入してくる外国資本の企業との競争でも成果を上げていくことが必須となります。世界全体では、花王の扱う消費財では、P&Gとユニリーバという巨大な多国籍企業が花王の前に大きく君臨しています。

外資の日本市場への参入は、1972年にP&Gが資本参加による日本市場進出、1973年には、単独出資としての「日本ユニリーバ」が設立され、花王をはじめとする国内企業との激しい競争が展開されましたが、花王は国内での圧倒的な業界リーダーの座を堅守。世界の競合2社との国内での戦いが、花王の競争力を高めたともいわれます。

アジア市場では?

花王は、明治時代、文明開化のなか1890年に「花王石鹸」を発売、創業100年を超え、海外進出の歴史も古く、第二次世界大戦前からアジア地域での製品販売を展開してきましたが、敗戦により拠点を失い、戦後は1949年から輸出再開、現地法人を設立しての直接投資は、1964年、タイと台湾で設立された現地法人から始まり、東南アジア、欧米へと進出していきました。しかし、国内での圧倒的なパフォーマンスに比較し、アジア市場では、P&G、ユニリーバという2強に大きく出遅れてしまい、中国を中心とするアジア市場では、この2強が8割の市場シェアを持つといわれます。日本国内で圧倒的な競争力を持つ花王ですが、日用品売上高の約8割を国内が占め、「内弁慶」ともいわれる状況となっています。

花王の扱う、石鹸などの一般消費財は、少子化の国内ではその需要が減少することは必須で、売上高を伸ばし続けるためには海外市場での市場シェアを伸ばしていくことは避けられない宿命、年率10%で成長するともいわれるアジアの消費財市場での売り上げを伸ばすことが、花王が成長を続けるためには必須となっています。

アジア通貨危機、タイ花王での課題

1997年、アジア通貨危機により、タイを中心にアジア各国の通貨が急落、通貨の下落でアジア進出に必要な投資負担が軽くなったことで、カルフール(フランス)、テスコ(英)、メトロ(ドイツ)など欧米系の大手小売業がアジア進出を加速、花王もアジアでは、この欧米系の大手小売業との取引が必須になっていましたが、当時のタイ花王のシステムでは、納入価格の引き下げや納期短縮を求めてくる大手小売りと交渉するためのデータを情報システムから取得することは困難、情報化の進むP&G、ユニリーバと対抗するため、タイ花王は、1998年から2000年にかけ、ドイツSAP社製ERPパッケージを導入、売上高、在庫などの情報をリアルタイムで把握、分析できるようにしました。

アジア全域での展開

タイでの成功をアジア全域に展開したのがABSプロジェクト(アジアン・ビジネス・シンクロナイゼーション・プロジェクト)です。アジア全域の一体運営を目指し、アジア7か国と地域に展開する22拠点の基幹システムを統一、同じ会計、生産・販売・在庫管理システムを導入、在庫量や納期、物流コストなどのデータを日次ベースで本社が把握することを可能とするものです。

タイ一か国に導入するのと、アジア22カ所の生産販売拠点に展開するのでは全くことなるプロジェクトとなります。同じアジアといっても、国が異なれば、規制要件も異なり、もちろん言語も異なる、業界慣行という非常に見えにくい部分もある程度考慮しなければなりません。

ファミリーマートなど、日本のコンビニは、アジア各国にも出店していますが、小売り商店は、各国現地個人商店の経営を圧迫するということで厳しい規制がかけられます。現地のローカル企業との合弁やライセンス供与など進出形態は、各国の規制に合わせて多岐にわたります。ベトナムのコンビニでは、2階に食事をするスペースが設置されています。現地の規制で、小売店としての出店はできないため、レストランとして許可を取得しているためですが、1階は通常のコンビニで購入した食品を食べるのが2階のレストランという形で、看板は同じでも日本のコンビニとは大きく異なります。

ABSプロジェクトでは、アジア全域の花王拠点を調査、システムだけでなく、業務プロセス、業務ルール、マスターコードに加え、売上高、利益、欠品率といった重要業績指標を標準として定め、業務プロセスの標準化を進めていきました。

これらの業務標準をERPシステムに落とし込み、各拠点に展開していきます。各国では、会計制度など、規制要件も異なるため、標準システムに追加開発や変更を加えることになりますが、このような調整をしながら、シンガポール、台湾、インドネシア、マレーシア、上海と導入、最後に2005年2月にフィリピンへの導入を終了してABSプロジェクトが全面稼働しています。

花王ABSプロジェクトから学べる事多国籍化に伴う情報システムの課題

海外に多くの拠点を持つ電機メーカーでも、海外の基幹システムについては、現地に任せて構築、運用されている例が少なくありません。今後、さらなる成長を海外市場に求める圧力が高まる中、海外のシステムを標準化、統合していくことは大きな課題となってくるでしょう。

全体最適と部分最適

本社のシステムをそのまま利用するよう、海外拠点に指示すれば、非常に大きな抵抗を受けることは必須です。現地での規制要件、商習慣などわかりにくい部分もあり、システムへの改修要望を聞けば、非常に莫大なコストが開発費用となってきます。一方、本社システムをそのまま適用すれば、商習慣、規制要件の相違から現地でのオペレーションが破たんしかねないリスクが生まれます。

グループ企業全体としての標準化を進める一方、現地の規制要件、商習慣なども勘案してシステムを構築するバランスが求められます。

このためには、全社グループとして、標準化する目的を明確にしていく必要があります。全体最適を追及するため、各現地拠点で何が必要なのか?花王のケースでは、在庫量などを日次で本社サイドが把握するという明確な目的が定められています。一方、現地固有で必要となる要件についても吸い上げ、精査したうえで判断しています。

ハードウェア、ネットワークの進化により、同じシステムを世界各拠点で利用することもそれほど困難ではなくなりつつあります。また、TPPなど、貿易、会計制度などの規制要件もグローバルで統合されていく方向です。世界の複数拠点でビジネスを展開する企業が、各地域で異なるシステムを統合することができれば、システム化予算を大幅に圧縮することができます。

ERPベンダーとして、国内大手企業のプロジェクトに関わってきたとき、海外に多くの拠点を持つ電機メーカーのIT担当の方から、同じERPではあるが、アメリカ、ブラジルなど、各拠点の判断で導入されており、全世界としてどのようなシステムを保有しているのか、詳細は日本本社では把握できていなという話しを聞きました。電機メーカーが海外展開で売上を伸ばしているときは、各国に製造、販売拠点を設立することでせいいっぱい、各国の事情に合わせたプロセス、情報システムが構築されてきたのでしょう。技術的にも、世界全体をいくつかのコンピュータサーバーで統合するのは現実的ではなかった。しかし、現在は、技術的な障害は非常に小さくなっています。各国の情報システムを統合、標準化された業務プロセスを全世界的に浸透させていくというのは、海外に多拠点を持つ企業にとり、克服すべき課題として迫っています。

ITシステムマスタープランをしっかりと策定、グループ全体最適の方向を明確にし、海外子会社個々の要望は、部分最適として評価する基準を設け、対応していくことが必要になります。花王のケースは、このような難しいプロジェクトを成功させた事例の一つとして大変参考になるものです。