各社はどう動いたのか?

4大証券の一角、山一証券は1997年廃業となりましたが、野村、日興、大和は、海外も含め、提携など規制緩和のなかで厳しい競争環境を乗り切っていく方策を探り、野村証券は、銀行系証券の包囲網のなかからリーマンブラザーズのアジア部門を買収、グローバル化に大きく踏み出しました。大手にとっては、グローバル市場のなかでのポジショニングを定める必要があったのです。

一番対応が難しかったのが、準大手といわれる中堅証券です。4大証券と同じような業態ではありながら、規模を小さくした形でオペレーションをしており、非常に非効率な部分を抱えておりました。といって、小規模の証券会社と異なり、それなりのリソースを抱え、大きな方向転換は難しい状況でした。結局、準大手の証券会社のほとんどが、銀行系の証券会社と統合、銀行の傘下にくだることとなり、金融ビッグバン前の状態からそのまま残っているのは岡三証券など、限られた会社になりました。

一方、小規模の証券会社は、特色を出していくことでそのポジショニングを明確にしていく戦略を取る企業が出てきました。地域性をより強め、地域の顧客との関係強化に乗り出す、新興国での証券市場に特化していく企業など徐々に、独自戦略を打ち出していく企業が現れてきました。このなかの一つが松井証券、明確な戦略を打ち出すことで大きく業績を伸ばし、小規模証券からの脱出を遂げたのです。

 

松井証券の戦略

では、松井証券はどのような戦略をとったのでしょうか?松井証券は、大正7年創業という老舗でありましたが、東京、長野しか対面営業のテリトリーがなく、インターネットトレードが技術的に開始される前から、約10年かけて営業マンや営業所をなくし、1992年から1994年電話によるコールセンターでの取引の受け付けを実現してきました。

金融ビッグバンが施行された翌年、1998年には、インターネットトレードにいち早く取り組み、IT化を実現しました。大手証券会社では、これより先にインターネットトレードを導入したケースもありましたが、松井証券は、対面営業である外務員を置かないという従来の証券営業のモデルに決別する、専業としてのネット証券、国内トップで実施、大胆なものです。

かつて、証券会社の外務員は、およそ株価が上昇する見込みのない株も、ときに顧客に販売する、結果として顧客に損をさせたときに、その損失分を証券会社が負担する「損失補てん」など、外務員を通じての株売買には、不明朗な部分も多かったのです。ところがインターネットが普及、個人投資家でも株価の動き、企業のIR情報などネット経由で入手できるようになり、外務員の情報なしでも判断が下せるようになりました。結果として、顧客側が売買において主導権を握ることができるようになった、顧客を訪問して対面営業で販売するという、古典的な販売モデルがインターネットの普及により、その存在価値を弱めていきました。

 

アメリカでは、販売に関わる要員のなかで、対面営業に関わるいわゆる、セールスマンは、10人中1人の割合にまで落ちています。業種によりますが、コールセンターやWebからの販売に関わる要員は増加する一方、旅費などの経費もかかるセールスマンは、削減される傾向にあるのです。

インターネットの普及は、顧客がこれまで営業マンからしか得られなかったような情報を容易に取得できるようにした、営業マンは、単純な情報提供では、顧客の購買を促すような付加価値を発揮できなくなったのです。松井証券の戦略は、この流れに沿ったものでした。