文具業界とIT
今後、コロナが与える経済の下降は避けられない、金融に端を発したリーマンショックより大きな、全世界的な影響を及ぼすと予測されたいます。こうした、大きな景気後退は、業界構造を大きく変化させることになります。文具業界がITにより、その業界構造を変化させたのか、ここで振り返ってみることは参考になるでしょう。
かつて鉛筆や筆箱など文房具は、小中学校のそばに店を構えた文房具店で購入するものでしたが、現在では、コンビニ、スーパーマーケット、百円ショップ、さらにネット販売などで購入、小売りの業態が非常に多様化した製品の一つといえます。
この多様化に伴い、典型的な街の文房具店は、1982年ころをピークに減少、現在では3分の1程度の8千から9千店になりました。
文具関連の企業は、長い歴史を誇る企業が多く、三菱鉛筆は、明治20年(1887)、ゼブラは、明治30年、トンボ鉛筆は、大正2年(1913)年、サクラクレパス大正10(1921)年、パイロット大正7年(1918)など、100年近い歴史を誇る企業が珍しくありません。
アメリカでは、業界再編により、グローバルに展開、1兆円を超えるステープルズ、オフィス・デポ、オフィスマックスの寡占市場が形成されていますが、これらグローバル企業も日本市場ではそれほど目立っていない、日本の文具メーカーは、商品開発力が優れており、パイロット、ペンテルなど、輸出比率が50%を超え、最近ではパイロットの消えるボールペンなど、画期的な商品が開発されています。
かつてドイツ資本の企業に勤務していた時、出張で日本に来たドイツ人が会社の備品であるボールペンを手に取って、自分はこの書きやすい日本製のボールペンを持って帰るのだと、日本製の筆記具の素晴らしさを話していました。会社の備品として購入されていたもので、どこでも売っているような、廉価なものであったのですが、ドイツでは手に入らないと嘆いていました。パイロットが製品化した、消せるボールペンなど、世界的に優れた製品を生み出しているのでしょう。
文具業界の変遷、システム化の戦略についてみていくと、家電などと同じような流通の大きな変化に従い、3つの時期に分けて考えられます。最初は、文具のメーカー主体に、問屋、小売の系列化がすすめられていった時代。文具の流通が、文具店の定価販売を主体として行われていた時代。次に、1970年代から、ダイエーに象徴される流通革命がおき、文具の流通経路がスーパー、コンビニ、百円ショップなど多様化、さらに値引きも一般化していった時代。そして、1993年、アスクルによる通信販売、さらにインターネットでの受発注が一般化、各社の価格、評判などがインターネットで容易に取得できるようになった、消費者主導に時代。
コクヨ、販売網の系列化
業界トップのコクヨは、明治38年(1905)年に大阪で創業しています。コクヨは、文具の製造だけでなく、流通網の組織化に努め、全国を網羅する総括店といわれる、問屋、さらに末端の文具店を系列として組織化し、強固な製造、販売網を構築しました。東芝や松下のような家電メーカーが系列店を組織化、小売商店を「あなたの街の電気屋さん」など組織化していったのと類似しています。
ところが、1970年代、ダイエーなどスーパーという新しい小売業態の隆盛とともに、購入する消費者が強力に値引きを求める業態に変化、流通構造の革新がすすんでいきました。
文房具業界でも同じような変化が起こり、1980年代から街の文房具店が姿を消していったのです。
アスクルの戦略
プラスは、アスクルの親会社、1948年に文房具の卸として創業、1990年には、製造業を本業として自社製品の開発を始めていますが、1992年には、純利益が赤字になるなど苦境に立たされています。自社製品を開発、文具店に売り込みに行っても、コクヨの系列、影響が強く、よい商品であっても取り扱ってもらえない。
そのため、新たな流通手段としての通信販売のため、1992年5月にアスクル事業推進室を、社員4人で設立、市場調査を開始しました。
調査の結果、ターゲットとしたのは、従業員30人未満の事業所でした。当時の文房具市場は、流通ベースで1兆4千億円、個人向けは、約4分の1、4分の3の法人向けのうち、3分の2は、文具店や卸が企業を訪問して注文を取る外商、法人全体の3分の1は、社員が文房具店に購入に行く、中小企業。仕事中に近所の文具店に買いにいかなくとも、通信販売で購入できれば顧客にとって大きな利便性の向上になるだろうとの考えでした。
ところが、ビジネスを開始した1993年には、顧客の反応は予想を下回るものでした。調査の結果、取り扱いはプラス製品だけの商品構成、文具店に遠慮してほとんど値引きなしという価格設定が大きな障害であると認識、他社製品の取り扱いを始めるとともに、価格を2-3割値引き、1995年以降売り上げを拡大、
アスクルのビジネスで特徴的なのは、既存の文具店をエージェントとしてビジネスに組み入れたことです。アスクルは、通信販売用のカタログ、エージェントが受注した製品の発送を行い、中小企業へのカタログ配布、営業、代金回収などを担当、アスクルから売り上げの一定マージンを受け取るという仕組みです。
地域に密着、中小企業を顧客基盤として持つ文具店を系列ではなく、パートナーとしてビジネスに組み入れることで短期間に通信販売による顧客数を伸ばしていったのです。
アスクルの快進撃は、コクヨにとって予想外のものでした。コクヨは、業界リーダーとして、アスクルだけでなく、1997年から1998年に日本で営業を開始した、アメリカのオフィス・デポ、オフィスマックスにも警戒していました。
アスクルの登場、流通機構の多様化など、コクヨの構築した強固な製造販売を束ねる系列の仕組みは、その強みを失っていき、2000年3月では、年間の売り上げが2,645億円、3年前の売り上げと比べると18%も減少する結果となりました。
楽天が誕生した1997年ころ、文房具のネット販売には、異業種からの参入も相次ぎました。IT大手ベンダーのNTTデータは、NTTデータオフィスマートを設立、文房具の販売に乗り出しました。銀座の老舗文具店であった、銀座文具は、米国企業と提携、1998年B to Bのインターネット通販「iDeL Net」(アイデルネット)をサービスとして提供、
大企業を中心に導入されていたERPシステムのSAPに直接リンク、各企業の従業員が購買部を通じないで、企業システムから銀座文具の提供する文具カタログを参照、必要なノート、クリップなどを注文、発注を依頼した社員のもとに届けられる仕組みを展開していきました。(銀座文具は、その後閉業)
インターネットでの販売については、コクヨも取り組み、1997年10月には、「べんりねっと」を提供しています。このシステムを採用した企業では、文房具などの備品を社員が購買部を通じないで、コクヨの提供するシステムから直接発注、社員のもとに備品が届けられる仕組みで、社内承認に仕組みなども兼ね備え、値引きによる購買経費の低減とともに、社内での事務手続きに関わる省力化効果が大きいとされ、導入した日本酸素では、8千万の文具購入コストが1700万円近くの削減効果をあげました。
しかし、アスクルのターゲットとする中小企業向けについては、強固に組織化した問屋、小売文具店の系列が足かせとなりアスクルより8年遅れ、2001年1月に「かうねっと」としてビジネスをスタートさせることとなりました。コクヨのシステムでは、コクヨ系列の問屋である総括店にカネが流れる仕組みが残っており、また、アスクルのパートナーとなっている文具小売店は、アスクル以外の代理店となることを契約で禁じられていること、などからアスクルを追撃する体制を整えるのに苦労していました。
1999年からは、コピー機やOA機器などを扱う大塚商会が、「たのめーる」をサービスとしてスタート、3000人を超える営業マンが、コピー機、OA機器の販売先顧客に文具の販売を開始、強力な営業力で文具販売でのシェアを伸ばしていきました。
ITが業界に及ぼした影響
ITは、文具業界に、3つのステップで影響を与えていきました。IT化により、中抜き、問屋などの中間業者が不要になっていく、さらに進むと、業界の構造が解体され、最終段階では産業間の垣根が取り払われる。
文具業界では、アスクルの問屋を介さないモデルにより、既存の問屋がその存在意義を問われ、整理統合されていった。従来型の物の流れを中心とした業界構造から情報の流れを中心とした流れに移行する中、IT化が進み、問屋の情報流通機能が生み出す価値が低減していった。
さらに、流通形態の多様化により、スーパー、コンビニ、百円ショップなどで販売されるようになり、問屋の整理統合がさらに進み、文具小売店も廃業が相次ぎ、コクヨを筆頭にした伝統的な文具流通の系列が解体された。食料品、衣料品などに合わせて文具を購入していく顧客を集客できるところが文具を販売、文具の製造、卸と取引を深めていく。
最後に、他業界からの浸食が試みられ、その一つ、大塚商会が大きなシェアを獲得していった。また、ネット販売でも、アマゾンや楽天などが文具販売に占める割合を伸ばしていく。
各社の戦略的システム
コクヨ、アスクル、大塚商会が文具業界の中で競争するため構築したシステムも、業界内での立ち位置に応じた、各社の戦略を反映したものでした。コクヨが系列化を進めた時代には、情報システムの主な目的は、モノの流れ、業界での取引情報、これにより企業内外での受注発注のネットワークが整備されていきました。
アスクルが始めたモデルは、文具店をエージェントにした、顧客情報を整備、また翌日配達の利便性を高めるため、需要予測、在庫管理、配送管理などのシステムも整備、さらにエージェントである文具店を支援するための営業支援システム、これにより各文具店が顧客リスト、取引履歴を検索、注文が減っている顧客への訪問先の抽出など、営業戦略を練ることができる。
一方の大塚商会は、自社営業マンを支援するため、顧客情報、複写機、OA機器の販売履歴、サポート、ソフトウェア販売などの履歴データベースから、営業マンがコピー機器のトナーやコピー用紙など、文具の販売促進に転換できるよう、OA機器、複写機などの販売で構築した顧客情報システム、営業支援システムをベースに、文房具のクロスセルを推進できるような営業支援システムを構築していきました。
以上、文具業界のIT化による競争環境の変化、そのなかでの個別企業の戦略についてみてきましたが、戦略的なITの活用が大きく競争に影響することがわかりました。類似のケースは、多くの業界でもみられました。