情報サービス産業は、大きく三つの期間にわかれて形成されてきたと考えられる。
1.黎明期
1960年代、新たに登場したコンピュータを利用するための情報サービス市場が急拡大、特にコンピュータを利用した計算処理を必要とする金融、電力などの計算部門が子会社化、こうした大企業の計算センターでの受託業務請負を中心に、独立系企業が情報サービス産業に誕生していった。富士通、日立、日本電気といったハードウェアベンダーにもソフトウェアを制作する子会社が地域別に設立されていった。主な動きを下年表にまとめた。
2.独立系企業の参入、高成長
1980年代には、鉄鋼、造船などの情報部門が子会社として独立、第三次オンラインを中心に旺盛な需要のある情報サービス産業に参入、積極的な採用活動とともに親会社以外の顧客からシステム開発を受託、情報サービス産業のなかで売上増を図っていった。しかし、現在の現在の日鉄ソリューションズのように、上場、情報サービス産業のなかで大きなポジションを占めるようになる企業の一方で、旧日本鋼管、神戸製鋼、住友金属のシステム子会社のように、アウトソーシングサービスの拡大を狙うコンピュータベンダーの子会社化されていく企業も多く、親会社の体力、情報サービス産業への取り組み方で情報サービス産業のなかで成長していくか、親会社のシステム開発、維持の比率が高いままでいるかに分かれる。
コンピュータベンダーの子会社として情報サービス産業に参入した企業は、コンピュータの技術革新、オープンシステムへの移行で汎用機、オフコンの売り上げが急落になる一方、複数子会社を合併させるなどして、大規模開発への対応力を強化、成長していった。
独立系企業は、受託開発や技術者派遣をベースに地道に成長していく企業もみられるが、コンピュータベンダー系、ユーザー系に比べ、経営の自由度も高く、情報サービス産業以外の分野への投資に傾注する企業もあった。主な動きは、以下にまとめた。
3.ITバブル崩壊、リーマンショックから低成長路線へ
2000年に入り、ITバブル崩壊、2008年のリーマンショクを経ての景気の低迷、さらにシステムプロジェクトの大規模化、グローバル化に伴い、ベンダー系企業は、地域子会社が一つの会社に統合され、独立系では、大手インテックと東洋情報が合併、破綻したCSKは、住商情報に吸収された。
ユーザー系では、NTTデータ、野村総合研究所、日鉄ソリューションズが大手として存在、コンピュータベンダーと大型プロジェクトの受注をめぐる競争を展開するという構造ができてきた。