大学を卒業、就職先を探すころ、当時大学の授業でも少し登場していた「コンピュータ」に、「よくわからないけど、ああいうものだけは関わりたくないな」と思って就職した鉄鋼会社、ところがなんと配属は、情報システム部、教育担当の係長から「おれより先に異動できると思うな!」と言われながら、脱出を試み海外留学などしたのですが、結局30年以上の長きにわたり、ITシステムに関わることになりました。その間、数多くのIT導入企画書を作成、投資効果として何人月の仕事が削減できると、数字上では、数えきれない人数分の仕事を削減。といっても、首切りなどしているわけではなく、システム完成後、「これで手作業がなくなった、ミスがなくなった」と感謝され、効率化への貢献を実感していました。ところが、数年前、勤務していた会社の課長から、「みんなITで仕事をなくされるのではないかと怖がっている」といわれ、ITシステムについて、「何かおかしくないか?」と思い始めたのです。

会社が成長している、人手が足りないとき、ITでの省力化はありがたい、しかし低成長に入り、人員削減が恒常的に行われているとき、ITでの省力化は導入される部署の社員にとってありがた迷惑?「仕事がなくなってしまう!」と思わせる。

ITシステム導入は、プログラムを作り、テストすれば実現できる、定型的な仕事が省力化できる。しかし、業務を担当していた人は簡単に削減できるものではない、特に日本企業では、正社員の雇用はしっかり守られる。ITシステム導入で、人の手による仕事が削減される、でもそれを担当していた人は異動先がなければ職場に残る、人が滞留していくことにならないか。ITシステムで削減される仕事は定型的なもの、IT化されないで残る仕事は、より高いスキル、判断能力が必要とされる。しかし、すぐに高いスキルを身に着けることなどできない。

人間は、やることがあってはじめて活き活きする。毎日会社に行って、十分な仕事がなく、でも仕事をしているふりをしなければ、雇用が失われるなど考えているとしたら、これはとてもつらいことになる。

 

組織の<重さ>というプロジェクトが一橋大学で実施され、本にまとめられています。日本の会社員が感じる「自分の会社、組織は重い」、「決定に時間がかかりすぎる」などの思いを実証したものです。このなかで、組織のなかのフリーライダー、ただ乗り、仕事をしないで給料をもらう人を、「企業業績を高める努力を自分では何も行わずに社内の同僚を批判しているだけの「社内評論家」や、会社の業績悪化に対して他人事のように無感覚にしている人、また、本来は自分が決断を下さなければならない意思決定案件を部下に全部押し付ける上司」と定義しています。そして、「これらのフリーライダーが顕著に見られる組織では、ミドルが創発戦略を生み出し、実行する際に困難に直面すると思われる」としています。ITで仕事がなくなる、少なくなる、それでも別の仕事もなく、そのまま居るとすれば、本人の意思とは別にこのフリーライダーを生み出していくことになる、結果、組織の空気がよどんでいく。

IT部門の仕事は、システム導入、テストまで、システムが導入された部署の仕事の再設計、人員再配置は、各部署の仕事、こちらが口をはさむことではないのですが、果たして適切に実施されているのか?

高度成長期、どこでも人が足りないという状況であれば、ITシステム導入は歓迎される、ところが失われた20年、低迷する景気のなか、ITシステム導入の省力化推進が余剰人員発生を後押し、多くの企業で新規採用を抑制、定年退職など自然減で人員削減を進め、人員の流動化は不活発、平均年齢を上がり、会社全体の空気がよどんでいかないか。

 

特に、中途採用に依存する割合の高い外資系では、採用の意思決定は各部署の部長の権限、中途で入社した社員は、その部長に採用してもらったと強く感じる。定期異動の考えもなく、専門職として採用、社内異動の可能性は低い。

部長と中途採用された社員の関係はある意味強く、部長は部署の雇用を守ろうとする、仕事が少なくなっても、「うちの部署は、忙しくて!」と虚勢を張ることになる、一方で、仕事のない部下、特にやる気のある若手社員の不満はたまっていく。実際、ITシステムの分析などしていると、本当にこの部署にこれだけの要員が必要なのか?と感じることは少なくない。

そもそもITが本当に役に立っているのか?ITと生産性、その効果については疑問が投げかけられることも少なくありません。